●7/19日(火)
私・舳松氏・綾部さんは関西国際空港発・エアカナダ便でブエノスアイレスに向かう。
バンクーバー、トロント経由で約30時間の長旅だ。
これだけ時間があると何をしようか迷うところだが、睡眠不足が続いていた私にとって
思う存分眠れることもこの旅行の楽しみの一つだった。
機内では映画を観たり将棋新聞を読んだりして時間を潰していたが、隣の綾部さんは
すっかり趣味になったというスペイン語の勉強に余念がない。
私は敢えてスペイン語の予習をしていなかったが、人前で演奏する以上自己紹介くらい
できないと…と思い直し、友人が貸してくれたスペイン語の本を読むことにした。
カナダの入国審査は非常に厳しかったが、中でもバンドネオンに関しては東洋人が
持っているのが珍しいのか、ケースから出して細部にまで厳重なチェックを受けていた。
アルゼンチン入国時はケースを見るなり「タンゴ演奏者か?」と訊かれる程だったが。
カナダ国内の機内はかなり涼しくフリースを着ていて丁度良いくらいだ。
しかしあれほど楽しみにしていた睡眠も狭いエコノミー席では熟睡できるわけがなく、
同じ姿勢が続いたせいか徐々に腰が痛くなり始めた。
トロント空港のロビーで東京発の小川さんと合流し、交代で荷物番をしながら
免税店を覘いたりして待ち時間をつぶすが、搭乗時刻になっても手続きが始まらない。
理由は分からないがこういうことはよくあるらしい。
しばらく待っているとゲートが開いたので、搭乗して席に着くと…狭い。
座席と前席の背もたれの間に体がすっぽり納まる感じで、身動きが殆どできない。
この状態で11時間も座っているのかと思うとげんなりしたが、もう真夜中だったので
気持ちを切り替えて寝ることにした。
睡眠グッズを取り揃えていたので入眠は速いが腰痛で目が覚めてしまう。
姿勢を変えて眠り直すが、今度は近くの赤ん坊の泣き声に起こされる。
この最終フライトで朝まで熟睡できればジェットラグの心配はないと思っていたのに
なかなか思うようにいかないものだ。
◇関西国際空港(16:30)→バンクーバー(10:00) 所要時間9:30
◇バンクーバー(13:30)→トロント(20:55) 所要時間4:25
◇トロント(23:55)→ブエノスアイレス(12:10) 所要時間11:15
●7/20日(水)
朝。眼下にアンデスの山岳地帯が広がる。
広大な草原地に点在する民家を線のように細い道が結んでいる。
この赤茶色の線がブエノスまで繋がっているかと思うと気持ちが昂ってくるのを感じた。
正午に空港に到着。気温は約10℃、やや肌寒いくらいだ。
こちらでお世話になる谷口さん、長男リオネル君、次男アリエル君が迎えに来てくれた。
リオネル君は日本語を、アリエル君は英語を話せるのですぐに仲良くなった。
ホテルに到着するとペソに換金し、近くのカフェで谷口さんに最近のブエノスのお話を伺う。
それによると02年にアルゼンチンの為替制度が変動相場制になり、現在物価は日本の
約三分の一ということ。これは嬉しい。
ホテルの戻ると早速必要な物をスーパーに買いに行き、久々に大の字になって寝る。
夜はタンゴの演奏を聴きに老舗『ビエホ・アルマセン』に出かける。
こちらでは夕食の時間が遅く午後8時頃になってようやくレストランがオープンする。
到着すると演奏会場の向かいの建物で楽しみにしていたアルゼンチン料理をいただく。
噂には聞いていたがアサード(牛肉ステーキ)の大きさに驚いた。
巨大でしかも分厚く、脂身のない赤身の肉なのに信じられないくらいジューシーで美味しい。
完食できた自分にも驚いた。
だがそれよりも驚いたのはデザートに出てきたドルセ・デ・レーチェだ。
コンデンスミルクのキャラメル味のようなもので非常に甘く、それがただでさえ甘いケーキに
たっぷりとかけてある。甘いものは苦手ではないのだがこれには参った。
食事が終わるといよいよ演奏会場に移動する。
やや年配のタンゴ楽団とフォルクローレ楽団が出演していた。
生まれて初めて聴く生のフォルクローレは衝撃的で、ボンボの生命感溢れるリズムと
チャランゴのソロ演奏に感動すると、ようやくアルゼンチンに来た実感が湧いてきた。
◇滞在ホテル Hotel Bel Air http://www.hotelbelair.com.ar/
◇両替はUS1ドル=2.7~2.8ペソ
◇タンゴ鑑賞の料金は食事とホテルからの送迎バス付きで約6000円。
◆『ビエホ・アルマセン』の食事風景

◆『ビエホ・アルマセン』で記念写真(右から舳松氏・綾部さん・小川さん・私)
●7/21日(木)
今日は滞在中に一度だけのリハーサル日だ。
しかも二時間しかないのでこちらで借りることになった楽器と仲良くなることが私の課題だ。
コントラバスは楽器によって弦高・弦長・ネックの太さ・ボディの形などが微妙に違うため
他人の楽器を弾く場合はどうしても違和感を感じてしまう。
演奏会に参加して下さることになったバイオリンの古橋さんと共にリハーサルを行った。
リハーサル後、レストラン『アニバル・トロイロ』で昼食をとる。
壁にはトロイロさんにゆかりのある絵や写真が飾ってありとてもいい雰囲気のお店だった。
そこでお手洗いの行った時のこと。
二つのドアには「DAMAS」「CABALLEROS」と書かれてあるのみで、絵や色分けがないため
どちらが男性用なのか分からない。
席に戻って尋ねたらいいのだがそれも何となく格好悪い。
しばらく考え込んでいると「CABALLEROS」のドアから男性客が出て来たので救われたが、
こんな簡単な言葉さえ分からない不自由さを実感した。
午後は舳松氏、小川さんとフロリダ通りを散策する。
そこはブティック、宝石店、革製品やガウチョ関連の民芸品等のお店が軒を連ねている
賑やかなショッピング街で、道端では時折タンゴのパフォーマンスも行われていた。
いろんなお店に入ったがCDショップの品揃えは素晴らしく、日本では手に入らないタンゴ・
フォルクローレのCDやブラジル音楽のDVDが大量にありどれを買うか迷う程だった。
夜は舳松氏に『ラ・エスタンシア』という肉料理専門店に招待していただく。
店頭では豪快な肉の塊を串に刺し、床にこんもりと盛った炭火で炙り焼きをしており
見ただけで食欲が湧いてきた。
早速アサードと赤ワインを注文する。
こちらの赤ワインはマルベックという葡萄が一般的で、その産地アンデス山脈の昼夜の
温度差が激しいため糖度が高く、その上農薬を使わないため美味しいワインができるそうだ。
だが国内のワイン消費量は年々下がっており、他のアルコール飲料に押されている日本
国内の日本酒と状況が似ている。
アサードで満腹になるとまたしてもあのドルセ・デ・レーチェと再会する。
だがあの強烈な甘さも今となってはブエノスの恋しい想い出の一つだ。
帰りにタクシーに乗り込もうとすると突然現れた少女がタクシーの扉を開けてくれた。
ストリートチルドレンだ。ブエノスでは子供達が道端で物乞いをしたり、車が信号待ちする
度にお手玉のような簡単な芸を見せてお金をねだったりする光景をよく見かける。
その殆どが非就学児で、この国がどうなるのか本当に心配だとリオネル君は話していた。
その少女も小銭を渡すとさっと消えてしまった。
◆リハーサル風景

◆ダニエル・ファラスカさんにお借りした楽器

◆リハーサルスタジオの入口と廊下

◆『アニバル・トロイロ』の壁

◆『ラ・エスタンシア』のアサードとドルセ・デ・レーチェ

●7/22(金)
実はアルゼンチンには演奏以外にもう一つの目的があった。
出国直前にチョー・ユンソン君という素晴らしい韓国人ピアニストと演奏する機会があり、
彼に今度アルゼンチンに行くことを話すと「ブエノスに私の両親と姉が住んでいるので
もし時間があれば姉にベースを教えて欲しい」と言われていたのだ。
ご両親宅に電話をかけるとユンソン君から私のことを聞いていたらしくすぐに話が通じた。
後日会う約束をして電話を切ったが、この出会いが私のアルゼンチンでの経験に大きな
影響を与えるとは思ってもみなかった。
今日はいよいよコンサートの初日。場所は大統領府内の特設会場だ。
少し早めにホテルに迎えに来てもらい、大統領府内を見学させていただくことになった。
地下には異変時の脱出に使われたというトンネルがあり大砲が備えられていた。
リハーサル後、本番まで控え室で待機していると強烈な睡魔がやってきた。
時差ぼけにならないよう飛行機の中でも睡眠時刻に注意を払っていたつもりだったが、
滞在中は毎夕6時頃になると必ず眠くなり困った。
アリエル君の司会でコンサートが開演。
会場には観客が入りきれず外の通路に椅子を並べて聴いて頂くほどの盛況ぶりだ。
一曲終わるたびに湧き上がる声援に勇気付けられるように演奏すると、終演後に
たくさんの人が「おめでとう!良かった」と声をかけてくれた。
ホテルに戻りレストランで初日の成功を祝った。
◆大統領府外観

◆演奏会場

◆大統領府内

◆地下トンネルとそれに繋がる広場

◆みんなから写真撮影を頼まれた状態で電話を受けるリオネル君

◆司会をしてくれたアリエル君